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ロボピッチャーのライブを見に来た人にライブレポを書いてもらい、プロのライターさんにそのレポを添削してもらうというこの企画。ライブレポは読めるし、プロのコメントは読めるし、ライブレポの書き方がうまくなるし、俺たちは楽だしともう何もかもが完璧な企画です。
前回やたらとクオリティーの高いライブレポに、本人たちだけではなくプロのライターもびっくりしてしまうという波乱の幕開けを迎えたこの企画。
第二回は2007年2月5日に行われたロボピッチャー(Katoito version)を題材としてライブレポ塾でございます。 |
はい。というわけで、第二回目のライブレポ塾です。
押忍。
えー、前回はなかなかすさまじいリアクションがありまして、いや、あったのですが、ライブレポのクオリティーが高すぎて、「ライブレポ塾でライブレポを書きたい!」というメールが一切来ませんでした。
(笑)来ませんでしたねえ。このへんのバランスはほんとに難しい。
うん。やらせをしてしまうテレビ製作会社の気持ちがわかってきました。
わかりたくないけど、わかってきました。
で、仕方がないので、僕がやっているフリーペーパーSCRAPのライティングを手伝ってくれている土門蘭さんに頼んで書いてもらいました。
うん。それはぎりぎりやらせではないな。
やらせとやらせじゃないのとのラインはどこにあるんだろう。
うーん。むずかしい。悪意があるかないかじゃない?
よし。じゃあこれはやらせじゃないな。俺ら悪意ないもん。ただレポを書きたい人がいなくて困ってるだけだもん。
まあまあ。とにかく、その土門さんのライブレポを読んで見ましょう。
はい。読んでみましょう。
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2007年2月5日(月)のライブレポ 土門 蘭
ロボピッチャーのライブにはもう何度も行っている。ライブだけでしか聴いたことのない曲でも、いくつかそらで歌えるほどだ。
だけど、いつになってもライブの良し悪しが判断できない。「あの日のロボピッチャーは良かったが、今日はいまいちだった」とか、「この間のがここ最近でいちばん良かった」とか言えないのだ。
わたしは音楽に詳しくないが、「あ、今間違った」とか「声出てない」とか「MCがいつもより笑いを取れていない」というようなことはわかる。だけどロボピッチャーのライブは、それが良し悪しに繋がらないようにおもう。むしろ声が出ていない方が心に迫ってくる日もあるし、そうでない日もある。そしてそれは人によっておそらく違う。
ロボピッチャーのライブは、それだけのものとして客観的に観ることができない。どうしてもそのときの自分と関わってしまう。だから良いとも悪いとも言えない。
それはひどく個人的な、ある種の人間関係のようにおもう。
ロボピッチャーのHPでライブ情報を見ると、2月5日は「ロボピッチャー(katoito version)」となっていた。katoito versionとは、文字通り、ボーカル・加藤さんとキーボード・伊藤さんだけバージョンということだ。何度かkatoito versionで演奏しているみたいだけど、実はわたしは一回も観たことがない。いったいどんな感じなのか気になったので、行ってみることにした。
会場のMUSEに着くと、テーブルと椅子が並べられていた。いつもはそのようなものはなく、お客さんのほとんどは立って観る。そして踊ったり跳ねたりする。きょうはゆったりと座って観る日らしい。対バンはリュクサンブール公園、ザッハトルテ、SIBERIAN-NEWSPAPER。わたしはいちばん隅っこに腰かけて、ジントニックを飲みながら始まるのを待った。
ロボピッチャーの出番は2番目だった。加藤さんはめがねをかけて、白いシャツを着ていた。伊藤さんは何色の服だったか、ちょっとおもいだせない。とりあえずいつもと同じ髪型だった。わたしはおもうのだけど、伊藤さんは本当にいつも変らない。顔色や体型が変わらないとかならそんなにびっくりしないけれど、前髪の束の質感とか角度とかすら変わらないのには舌を巻いてしまう。それに比べて加藤さんは毎回どこかちがう人だ。きょうは少し体調が悪いのか顔が土色で、シャツの白がいつもより映えているように見えた。
ふたりはてろてろとステージにあがって、ゆるゆると挨拶をした。加藤さんがしゃべっている途中で伊藤さんが「びゅっ」と音を出したりしていた。「なに、伊藤さんもう始まるんですか」「嘘です」「嘘なんや」と、よくわからないMCに、お客さんがなまぬるく笑う。大丈夫なのかなあ、とこっそりおもう。
だけど、1曲目の「フラワー」が始まったとたん、自然と笑みがこみあがってきた。伊藤さんのぴこぴこした電子音は本当に心地がよく、それに加藤さんのギターが混じって、わたしの心臓がやわらかく高鳴った。リズム隊のいないロボピッチャーは、いつもよりもちょっぴりやさしく、ちょっぴりくたびれていて、プールのあった日の午後の授業みたいな、そんな感じだ。
歌い始めた加藤さん、声が少しかすれているようだった。わたしは、無理しなくていいですよ、とおもった。だってプールの後の授業なんですからね。
そして、加藤さんは無理しなかった。いつもより少し小さく、落ち着いた声で歌い続けた。今ある声を、今あるぶんだけ歌にして送り出している感じだった。その声はとても誠実に聴こえた。ひとつひとつの歌詞がじわじわと体内に染みこんでいく。
「たった2つの冴えたやり方」が終わる。名曲だなあとおもう。「かさぶたロックンロール」が始まって、なんてかっこいいイントロなのだろう、名曲だ、とおもう。そして「幸せの意味」が始まり、ほんまにいい曲だなあ、とおもい、最後の「ミクロ」になってから、少し泣きそうになって、ほんとすばらしい曲!とおもう。そしてすべてが終わってから、ああ本当によかった、とおもい、あれ、で、いちばんは何だろう、と考えた。
わたしは本当にばかのように聴いていた。そしてばかのように感動していた。いい曲、すばらしい曲。何度もおもったその言葉は、れっきとした基準があるわけではなく、ただ、心に届いて揺さぶられた、そのときの感嘆詞なのだった。いちばんを考えるのはやめた。そのときそのとき、一曲一曲が、きちんと心に届き、きちんと心が反応した。それだけのこと。それだけで十分だし、きっとそれ以上はない。良し悪しもない。
きょうのロボピッチャーは二人だった。いつもは飛び跳ねながら聴いている曲を、きょうはじっと座ったまま受け止めた。きちんきちんと受け止めて、痛くなったりきゅんとしたりした。
同じテーブルに座っていた女の方は、目じりをぬぐっていた。月曜日のお仕事を終えてくたくたになった彼女の身体に、ロボピッチャーの歌は染みこんでいったんだろう。彼女は言った。
「声をはりあげんでも、ちゃんと届いたね」
そうですね、とわたしは言った。彼女は鼻をすんと鳴らした。
「自分らの曲を、ほんまに大事にして、信用しているんやろなあ」
わたしはうなずいた。
今あるものを今いる二人が差し出す。ただそれだけ。たぶん、だからわたしたちは心うたれるのだ。彼らがこんなにも真摯だから、わたしたちは自分の領域についロボピッチャーを入れてしまう。
今あるものを今いる二人が差し出して、わたしたちひとりひとりはそれを受け取る。するとそこかしこで反応が起こって、各々が胸の内でひっそりとそれを味わう。
幕が閉じて、ひとりひとりがきちんと自分の拍手をした。二人だった今日のロボピッチャーも、やっぱり個人的なライブをしたのだった。
2007年2月5日(月)
KYOTO MUSEにて
w/リュクサンブール公園、ザッハトルテ、SIBERIAN-NEWSPAPER
1、フラワー
2、ロボピッチャー
3、たった2つの冴えたやり方
4、かさぶたロックンロール
5、幸せの意味
6、ミクロ |
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なるほど。これはまた、すごいの来ちゃったな。
うん。特に、もうなにもいうことないわ。
クオリティーが高すぎてなんか二人のテンションも下がってきたな。
そうやな。
うん。
しいて言えば、「伊藤ヅラ疑惑」が話題になりそうな記述があったな。髪型がいつも変わらんっていう。
伊藤君はいつも結構楽屋できちんとセットしてるよね。
そうです。手馴れたもんです。ちゃんと自分の毛です。さわってもいいですよ。
でも、結構まめに髪の毛切ってるの?
二ヶ月に一回。ちょうど。
あ、そう。俺は年に四回しか切らん。
えー、そうなんや。まめに切ってる印象やったけど。
いやいや。この日は確かにちょっと声が枯れていましたね。風邪気味でした。でも2人バージョンや弾き語りはそういうときに声を張り上げなくてもいいから、声のコンディションにあんまり左右されない。気楽ではある。
いつもとはちょっと違う歌い方やったね。4人の時と2人バージョンの時では声が枯れていても枯れてなくても歌い方は違うから一回見て欲しいですね。
歌い方だけではなくていろいろと違うけれど、いろんな場所で、いろんな歌い方で、いろんなバージョンで自由に歌ってられるってのは幸せなことだなあとよく思う。
なるほど。
ロボピッチャーはそれぞれが個人でもいろんな活動をしていて、個々が培ったものがバンドに反映されていくから、その音楽性も変わっていくし、いつまでたっても多様性の枠が縮まらない。そういうところが続けていて飽きない要因だと思います。
そうやね。まだまだ、やりたいことはあるし。
伊藤君はソロライブやらないの?
ふふ。実は計画はしております。近々実現させたいと思っております。
また僕もゲストで出演します。
えー?またー?こちらは歓迎するけどさ。
前の伊藤君のソロライブにはなぜかロボピッチャーが4人ともステージに上がったからな。
結果そうなった。仲良しですね。
ま、ともあれ、すばらしいライブレポをありがとうございました、土門さん。あまりにすばらしすぎて本人たちからはあんまりコメントできません。
うん。ここはプロのライターさんにコメントしていただこう。きっとすごいコメントをしてくれるはず。今度こそ。
うん。信じよう。
うん。
ではhotexpressの杉岡さんのコメントです。
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えー、どうも。そつないプロのライター、hotexpressの杉岡です。
皆様が書かれたライブレポに対し、ご意見番としてコメントを、との事ですが、前回「それはまた別のお話」はドラマ「王様のレストラン」より抜粋でした。私はココ1〜2年で一気にレオファンになりました。
ともあれ早速第2回ですね。しかも今回はkatoito version。実は私、まだ見たことないんで、ちょっと楽しみにしてました。
で、第2回にしてこんな事いうのもアレですが、うん、凄いっす。ライブで味わった心の揺れ、感動が見事に表現されていて、淡々とした雰囲気が徐々に乱れていく中盤の迫力。そしてその後の恍惚とした余韻まで、読み手がライブを体験したと錯覚してしまうほど、惹き込む魅力を備えた文章です。
序盤で貼られた伏線もしっかり消化できていますし、揚げ足の取りようすらない、丁寧でジャストなレポート。私もいつか、こんなレポを………と、完全に立ち位置を見失った発言が喉まで出かかりましたが、そこはそれ。ご意見番としての職務もまっとうしたいと思います。
1.ジントニックを飲みながら ←自分が飲んだお酒を明記するのは決まりになったようです。
2.伊藤さんは本当にいつも変らない。 ←変わらないといえば荒木飛呂彦先生ですよね。
3.プールのあった日の午後の授業 ←素晴らしい例え!心の奥のノスタル箱が「キュンッ」言いました。
あと、これは良し悪しなんですが、全体的にちょっとクドいかも。センチメンタルな文体は臨場感や輪郭をぼやけさせてしまう事もあるので、その辺の差し引きみたいなモノがあると、よりぐっとくるレポになると思います。
………というかですね、ホント、嫉妬しちゃうくらいに素晴らしい内容なので、正直言う事ないですよ。覚え始めていた自分のポジショニングに対する不安が今、確信に変わりました。ミー、ミー。 |
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なんか、ミーミー泣いてますよ。
・・・・・・。
いや、でも、今回はなかなかきちんとしたコメントをしていただいているんじゃないでしょうか。エンジンがかかってきたんじゃないでしょうか。確かに「プールのあった日の午後の授業」の例えはすばらしいよね。あの気だるさとほこほことしたまったり感を表現するのにぴったりの比喩ですな。
うん。きゅんとしました。
お、1きゅんか。
うん。
あとなるほどと思ったのは「センチメンタルな文体は臨場感や輪郭をぼやけさせてしまう事もある」っていうところ。言われてみたらそうかもな。主体の思い出や意識が強く出すぎると、その現場(ライブ会場)の空気から離れてしまうもんな。
なるほど。臨場感にいくのかセンチメンタリズムにいくのかをコントロールするバランスが大事って事ですね。なんかライブレポ塾って感じになってきました。
うん。うん。今回のまとめとしては「ライブレポに必要なものはセンチメンタルと臨場感のバランス感覚である」ということですな。
うん。すばらしい。まとまった。
なんか普通にほんとにライブレポ塾になってきたな。これはロボピッチャーの音楽へのプラスはあるんだろうか。
まあわからんけど、Yahooニュースでも取り上げられたしいいんじゃない。
そか。まああんまり深く考えずに、その場その場で思いついたことをどんどんやっていきます。
はい。どんどんやっていきます。次回は、毎週更新になってはじめてメンバー4人が一同に会した座談会を行う予定です。
いよいよか!もうなんか最近2人ユニットみたいやったからな。ライブも2人やったし。
いやいや。ロボピッチャーは4人です。4人そろってロボピッチャー。
とにかく来週はいよいよ完全体になると。
オラわくわくしてきたぞ。
お楽しみにしておいてください!
それでは、また来週!!
ライブレポ塾ドクトリン その2
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