その3

趣旨
正しいライブレポを追い求め、ライブレポがミュージシャンにとって、オーディエンスにとって、またライターにとってどんな意味を持つのかを探る。そして、ライブレポの新たな可能性を突き詰める。
 

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ライブレポ塾を始める前にちょっとひとこと言わせていただきたい。

 こんにちは。ロボピッチャーの加藤です。いつもHPを見に来て頂いてありがとうございます。
 さて、今回でライブレポ塾も三回目になりました。
 
 僕はもともとライブレポというものにそんなに興味がなくて、バンドの公式HPでやるものというよりは、ライブに来ていただいたお客さんが、それぞれ好き勝手に自分のblogなどで書くもの、もしくは雑誌やプロの手によるwebページで第三者的な立場で公開されるものだと思っていました。
 ライブレポには三種類しかない。客観的なものと、主観的なものと、その間です。

  しかし、ロボピッチャーのライブのレポを最近お客さんに書いていただいて、そのすばらしさを見て考えを変えました。
 ライブレポは評論なのだと思います。
 つまり、一つの表現(ライブ)があり、その評論(ライブレポ)もまた表現である。お互いは対等であり、お互いが表現であり、作品であり、それでいてまったく別の楽しみ方が出来るものであると。ライブを見ていない人たちも(もっと極端に言うとロボピッチャーを見たことがない人たちも)ライブレポを楽しめるほどの可能性があるんじゃないかなあと思い始めました。
 評論もすなわちそういうものだと思います。よく誤解している人がいて、「評論家は金魚のフンだ」とか「評論は作品がなくては成り立たないので創作物ではない」という人がいますが、そんなことはありません。鑑賞に堪えうる評論というのは世の中にいくらでもありますし、元の作品よりも面白いということだってたくさんあるのです。
 ロボピッチャーのライブが、ライブレポに負けているとは思いません。
 というより、それはそもそも比べる物ではないのです。
 なぜならそれはまったく別の作品として既にお互いが一人歩きしているからです。
 ある個人から出てきた作品は、それがどんなものであれその創作性を評価されるべきです。0を1にしたイノベーションと、その副作用である毒を芯まで楽しまれなくてはなりません。

  ライブレポ塾はなんとなくロボピッチャーHPで始めた企画ですが、あまりにも素敵なテキストが集まった為、ミュージシャンとして僕はいろんなことを考えてしまいました。音楽とテキストの関係。ライブとレポの関係。プロのライターとアマチュアのライターの距離感。そしてそのそれぞれの存在の必要性。
 お客さんから書いていただいたライブレポを掲載して、それをメンバーが対談という形式で鑑賞し、最後にプロのライターが「プロとしての見地」から意見を言う。そんな形式でやってきましたが、ライブレポ自体が作品だとするならメンバーのコメントはいらないと僕は思いました。僕らは音楽をやり、それをきっかけにテキストが生まれる。それはまったく別物であり、ミュージシャンだからこそ言えることってあんまりないんですね。おそらくこのページを見ておられるみなさんと同じような感想を持つだけです。

 だから、今後「ライブレポ塾」には基本的にメンバーは顔を出しません。
 必要がないから。
 ライブの思い出や、出来事などはいうかも知れませんが、「ライブレポにミュージシャンがコメントする」のはいくらこのいびつなHPとはいえ、いびつすぎると思います。
 でも、そのライブレポが一面的にならないようにきちんと「ライブレポを評論する」立場としてプロのライターである杉岡さんにはいてもらいたいなあと思います。重荷でしょうが、よろしくお願いいたします。
 そして、それはあくまでも「プロとしてライブレポを書くには」という視点での話であって、「正しいライブレポの書き方」ではないのです。ライブレポはまだ未熟な評論ジャンルです。これからどんどん「神がかり的にすばらしいライブレポ」をみんなで発見・発明していこうという企画です。そういう発見があるページでありたいなあと思います。

  つきましては、みなさま、どんどんライブレポを応募して欲しいと思います。別に事前に連絡もいりません。どんどんinfo@robopitcher.comまで送ってください。その中で一番「素敵な」ライブレポを取り上げさせていただいて掲載いたします。「素敵さ」の基準はまだ未定です。ひょっとしたら複数のライブレポを掲載するかもしれません。

  いずれにしてもまだ未開拓なジャンルの、未開拓なページです。
 もっとこうしてほしいとか、こうするべきだなどの意見がありましたら、どんどんお寄せ下さい。

  ちなみに、上記のようなことを考えたのは今回やってきたライブレポがあまりにもうれしくて、あまりにも素敵で、ミュージシャンとしていいたいことがまったくなかったからです。表現者はこの評論の前では無力でした。
 ただ一つ言わせていただければ、「涙が出るほどうれしかった」です。

  なんとなくいろいろ面倒なことを書いてしまいましたが、ライブレポ塾ともどもロボピッチャーを今後ともよろしくお願いいたします。
 そして、ライブレポを気軽にどんどん送ってくださいね。一言コメントですらかまいません。

  では、先日2/10に行われた東京でのロボピッチャーのライブのレポートをお読み下さい。
 その後には、今日本で一番愛せるプロライター、杉岡さんのコメントももちろんお楽しみに。

  まあ、そんなこんなで長々とすいません。
 ロボピッチャーの加藤でした。
 また来週。

2月10日(土)オレマガッタ直線@月見ル君想フ ライブレポ 澤山一恵

月見ル君想フにはいつでもふくよかな満月が懸かっている。
18:30から始まったライブはすでに3組がアクトを終え、場内はほどよく温まっている。ロボピッチャーは副将としての登場だ。ロボピッチャーを待つ会場はそわそわしている感じがしないでもない。浮き足立っているようなそわそわした時間。それは待ち合わせ場所で好きな人を待つ時間に似ている。そしてそんな時間はきっと誰しもが好きだろう。私の目にするところ、誰もが笑顔だった。森さんの準備するスネアがしゃらんしゃらんと音を立てる度にふくらむ期待を私はそのままにしておく。

場内の照明が落ち、満月が青く妖しく光る。森さん以外の3人が現れる。短い挨拶。「ロボピッチャーです。京都から来ました」もちっとしながらも、小気味よく拍の頭を叩くリズムで今夜の幕が開く。「ループ」。加藤さんは身をよじらせて歌う。心なしか切なそう。そして時々短く叫ぶ、跳ねる。それを見て私は「今夜もロボピッチャーにありがとうを言えそうだ」と鷹揚にグラスを持ち直す。時折ロボピッチャーが作り出す静寂(「しじま」と読んでいただきたい)に場内の空気は収斂し、音の放たれる次の瞬間私たちはより心地よい空間へと解放される。小刻みな3拍子へと軽やかに移って「ロボピッチャー」。場末の楽団が奏でるような少しくあてどなく、もの哀しい調べ。いまでも黄金町あたりではこのような音楽が響いているのだろうか。「ロボピッチャー」という曲は前時代がかっていて、私はその時代に生まれてもいないのに懐かしいとさえ感じてしまう。ロボピッチャーはレトロフューチャーだ。伊藤さんは太陽系の外と交信していそうな音を出している。
銭湯をネタにした加藤伊藤漫談はこの日も好調で、笑って笑って、私の目元は少しほとびる。加藤さんは俯きがちに「今日のお客さんはあったかいなぁ」と呟く。ふふ。奇遇だね。私も同じことを思っていたよ。
ふうわりとした余韻そのままに「だいじょうぶ、たぶん」が始まった。素朴なギターのリフは生で聴くともっとほっこりする。シンバルのトレモロは清冽に場内の空気に浸透していく。この曲は聴くトマトジュースだ。トマトジュースが飲めない私は代わりにこの歌を聴こう。何て、有機的な曲!きっと私を清らかにしてくれる。「あなたはあなたのままでいていいんだよ」と肯定してくれているような気がする。有田さんのコーラスはとろんとしていて幸せになる魔法だ。徐々に重なっていくコーラスは安心感を強めてくれる。欲を言えば、もっとコーラスの音量が上がるといい。せっかくのコーラスワークなんだから。それでもいつまでも感傷に浸ったままにしてくれないのがロボピッチャーの心憎いところ。中華なイントロに歓声が上がる。「♪たっきゅうーたっきゅうー」と伊藤さんが裏声で歌い出した頃には、それはもう、波みたいに歓声が起こってはじけるほどに。階上で見ていた私にはそれがよく分かった。CDで聴くよりずっとギターの響きを意識できて新鮮だった。観客とメンバーの間に横たわる何かを埋めるためにライブはあると私は思う。それは認識の差であったりす るかもしれない。残念なことにその差が広がっていくようなライブもある。けれどロボピッチャーのライブでは、観客とロボピッチャーがそろそろと歩み寄って一緒に曲を作っていく感じがする。おかしいな、曲は加藤さんが書いて、それはロボピッチャーという楽団の演奏で完成するのに。私たちにも曲を共有させてくれる懐の深さだったり、親しみやすさがロボピッチャーにはある。今日一番の盛り上がりを見せる「卓球makes me high!」の流れる中、私の頭の中はぼんやりとしてまとまらないけれど。間奏では伊藤さんがもそもそ前に出てきてサックスを奏でる。即興のようなその演奏に、ロボピッチャーにはいろんな変化球があるんだなぁとあらためて感心する。加藤さんは「いまだにこの曲をやるときはメンバーみんな苦笑いです」と言うけれど場内は「なぁにやってんだか」といういたずらっ子を見るようなほわほわした眼差しに満ちていたように思う。
改まった調子でMCは続く。「『いい音楽』を届けたいと思います。そして『いい音楽』はぼくらで決めていきます」鼓動がとくとくいう。私の心音かと錯覚してしまう。「ミクロ」だ。これは『いい音楽』。今、私が決めた。「簡単な歌を歌いたいと思う 君がどこにいても取り出せるように」−この歌に限らないけれど、ロボピッチャーの歌のいくつかは一部を聴くだけで全ての小節が響き出すほどに、一つの歌の中で世界観が貫かれているなと思う。じわぁっとしているうちに「サイケデリック・ハロー」。ライブで聴くと加藤さんのギターが耳に残って、CDとは違った印象を残す曲だ。思っていたより重厚感があった。

宴の後。アンコールがあるといい。メンバーが退場してもなお拍手が続く。手のひらだけでなく私の体もじんわりと温まっている。それは私が口にした2杯の泡盛のせいではなく、ロボピッチャーが発生させた熱量のせいだ。何ジュールくらいあるだろう?聴神経から脳幹を経て大脳皮質に届くのとは別に、私たちを構成する数多の細胞一つ一つに働きかけてそれを揺さぶるような音を彼らは奏でた。そしてこの日一番、観客の細胞を揺らしたのは間違いなくロボピッチャーだった!熱気のこもった場内が何よりの証拠。少なくとも私はそう信じている。

2007年2月10日@青山月見ル君想フ
with PLEGLICO/Megane Wrench/ドブロク
opening act : Seagull meets the sun

セットリスト
1.ループ
2.ロボピッチャー
3.だいじょうぶ、たぶん
4.卓球makes me high!
5.ミクロ
6.サイケデリック・ハロー

hotexpress・杉岡さんからのコメント

まず初めに断っておきたい。
この日のロボピッチャーのライブは、何かが凄すぎた。
2004年の初体験より、定点観察を続けている私が言うんだから間違いない。
それは「ミスが少なかった」とか「ピッチが安定していた」とか、そういう事ではたぶん無くて、「ぶわぁああ!!っとくる」とか「なんかジュンッ!ていった」とか、何か擬音と感嘆符で表現したくなるような、理詰めでは何一つ説明できない、そんな凄み。
また、特にそれを感じさせたのがVo&G.加藤隆生だった。苦悶の表情で、金庫の鍵を開けるように右手をひねり、一緒に身体もくの字にくねらせ、それはまるではみがき粉のチューブをひねりあげて最後の一滴を絞り出すように………。滴?はみがき粉の単位って滴?粉?1粉2粉?サンk(駄洒落禁止)

どうも。杉岡です。プロのライターです。ご意見番です。評します。

上記の通りライブがずば抜けて素晴らしかったため、今回のは「すんごいモノ見た!」っていう感動、興奮がぐわっと伝わってくる熱いレポであり、もの凄く入り込んだ、彼らの世界観にどっぷりと漬かった状態で描かれた。そんな感じです。で、そうしたレポってのは、現場にいた方やライブ体験者にとっては嬉しいんですよね。記憶を元にライブのディティールを再現する事で、筆者の感動や興奮を共感、共有する事ができますから。
でも裏を返せばそれは、そうでない方にはあまり伝わらないレポ、でもある訳で。やはり“ライブレポート”という名目で綴る以上、引いた視点、ライブそのものを伝えるスタンス、というのも必要不可欠です。もっと簡潔に、分かり易い表現で、状況を明確に伝えるセンテンス、言ってしまえば素に戻るくだりがあっても良かったかな、と思います。

このレポはライブ直後の、興奮未ださめやらぬ、な状況で描かれたんではないでしょうか。それくらい、あてられてしまうくらいに、いいライブだったから。だからアレですよ、今回は何の説明も前置きも無しに、突然そんな素晴らしすぎるライブをやったロボピッチャーが悪い、って事でどうでしょうか。悪いの?

★ 音楽情報サイト・hotexpress

★ ロボピッチャー・アーティストページ

ライブレポは本当にどんどんお気軽に送付下さい。メンバーも励まされたり反省したりすると思います!

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